ゲシュタルト崩壊:神の視点で自分を視る

ハイヤーセルフから、あるとき私に降りて来た。


「本当は、自分のこと、
 大好きだよねえーーーー」と。


降りて来るメッセージを瞬時に腑に落とせるスキルが段々上がって来た私。


一瞬にして、
ゲシュタルト崩壊した。


思わず、
爆笑してしまった。



そして過去の記憶を遡り始めた。



小さい小さい、
子供の頃の自分。



何歳か分からない位、幼かった時、
「自分のことを好きと言っている人がいない事実」をみて、
これが人間のカッコよく生きる道だと勘違いしてしまったのを思い出した。


謙遜という、やつだ。


私は今では大人になりきれない大人だが、
その頃は、早く大人になりたくて仕方なかった。

大人の振る舞いには、何かと謙遜がついている。

私は子供を観察するより、大人のそれをよく見ていた。

早く大人になるには、
謙遜というスキルと、
それにつながる自己否定、自己卑下が必須思考なんだと。

大人になるには、
客観的に自分を視ることが必要→
自分を謙遜する行動→
自己卑下・・・・

とってもナチュラルにその思い込みが体の深層に届き、
まさしくイメージをダウンロードするごとく、その術を私は身につけてしまった。

だから、
「自分大好き」とかはっきり言っちゃえるタレントとかテレビで見ると、
珍しい動物がいるなあという感じでその人を見るようになったし、
自分にはあり得ない事だと思った。

しかし、
この思考のおかげさまで、
私は、
自分をディスりまくり、
怒り蹴散らしまくりが慢性化し、
子供のころから、
いじめや理不尽な大人の言動の被害を引き寄せて来た。

自分のあり方が、
それを引き寄せた。


「自分のことが好きだよねーーー」
というメッセージを貰った瞬間に、
「そうだった!」
と、こっぱずかしくて笑ってしまったけど、
本当にそうだった。

私、自分のこと大好きだわあ・・・・。



不幸な私は、
癒し界隈でよく言われる、
「自作自演」だ。

自分の不幸人生の脚本を書き上げる能力と、
それを忠実に心を無くして演じきるエネルギーを、
振り返る度に、
自分のドMっぷりと、
裏返せば、
どんな風にでも展開できる力があると分かった。

こんなに苦しいドラマ、
こんなに苦しい病気、
を自分に体験させて自分は、
あり方一つで、
幸せにもなれるんだと、
一瞬で自分の創造性を理解できた。



この気づきにたどり着けたのは、
癒しを深く深く、
地道に繰り返して来たからだ。

それがなければ、
この神の視点は降りてこなかっただろう。


癒しとは何か?
それに携わりながら、
うまく説明ができなかった気がするけど、
要するにこれだ。

誰にでも、
幸せになれるし、
その力を思い出す必要がある。

それには、
自分とトコトン向き合うことと、
自分の真実を見る勇気を持つこと、
諦めないことだ。


世界の機能が強制的に一時停止させられる今、
見えない世界、
自分の心に目を向ける時期にいる。

自分のあり方、
心の状態、
これからは、
もっとフォーカスして生きていく必要に、
目覚める人が激増することを私は祈らずにはいられない。



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